藤田浩一|音楽プロデューサー

PROFILE

プロフィール
藤田浩一氏のプロフィールです。

藤田浩一

1947年3月20日 千葉市登戸町で生まれる。
その当時登戸町は埋め立て前で、海岸沿いの町であった。
サッカーが大好きなスポーツ少年。ただ、母の死、父の再婚などで、寂しい少年時代を過ごす。
千葉県立千葉高校在学中、ビートルズに衝撃を受け、エレキギターを購入。 ここから音楽にのめり込んでゆく。

1967年 渡辺プロダクションのスカウトによりアウトキャストのメンバー(Vo.G)として「友達になろう」でデビュー。 当時、アーティスト本人の作詞作曲でデビューするのは、極めて稀なケース。音楽性の違いにより、同年夏脱退。

1969年 自らの主導で The Love結成「イカルスの星」「ワンスアゲイン」でデビュー。 サクラカラーのCMにでたり、テレビ番組のレギュラーになったり美少年バンドのはしりとして評判になる。

藤田浩一
The Love解散後、音楽制作、プロモーター、マネージメントなどプロデューサーへの下地作りの活動をする。

かまやつひろしの、マネージメント&プロモーションを手掛ける。

ベイシティローラーズのコンサートフィルムをイギリスで購入。日本全国の映画館で上映。行列で入れないほどの騒ぎとなり、ベイシティローラーズ旋風を巻き起こす。

1975年4月24日トライアングルプロダクション設立。

1977年レイジーを大阪で発掘。本格的にプロデューサー業へ。同年「Hey I Love You」でデビュー。
3作目「赤頭巾ちゃんご用心」でブレイク。

1979年当時19歳だった、角松敏生のデモテープを聞きスカウト。
1981年「Yokohama Twilight Time」でデビュー。
セカンドアルバム「Weekend Fly To The Sun」はロサンゼルス録音。
EW&F,Jackson5のアレンジで活躍していたTomTom48と制作を共に行う。

1981年6月1日  バミューダ音楽出版設立
この後永きにわたり、杉山清貴&オメガトライブ、菊池桃子、1986オメガトライブ、カルロストシキ&オメガトライブ、ブランニューオメガトライブ、ジャッキー・リン&パラビオン、RA MU、TwinFizz、Kazzなど数々のアーティストを発掘、作品をプロデュースする。

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