FAN'S REVIEW
ファンの方々による藤田浩一氏に関連した作品についてのレビューです。
トライアングルサウンドは永遠に。
杉山清貴、カルロス・トシキ、新井正人がボーカルを務める“オメガ(トライブ)サウンド”、いや菊池桃子等を含め、藤田浩一プロデューサーが企画し実行したコンセプト及びその作品群=“トライアングルサウンド”は、詩曲はもちろんのこと、CD(レコード)のジャケット写真や演奏時の衣装等に至るまで都会的でおしゃれで洗練されており、時代を超えた普遍的な魅力を持っていると思います。2004年と2019年の杉山清貴&オメガトライブ再結成ツアー、2017年のカルロス・トシキ復活ツアー、いずれもほぼ全公演が完売した事実は、その証左の一つではないでしょうか。
「アイドルが歌っている」という見られ方が付きまとった菊池桃子の曲、そして人気アイドルの転身失敗例として挙げられるのみだったRA MUの曲も、オメガトライブ共々、ここ数年のシティポップ・ブームにより再評価されているのは嬉しい限りです。1970~80年代、約15年の流行期間中にも様々なサウンドの変遷を遂げたシティポップですが、トライアングルサウンドはその“最終進化形”だと思っています。
この度、本文を寄稿させて頂くにあたり、改めて読み返した本があります。「杉山清貴&オメガトライブ 35年目の真実」(梶田昌史・田渕浩久著/DU BOOKS)。内容のメインである林哲司や康珍化らへの撮り下ろしインタビュー記事の中に、藤田さんのお人柄が伺えるエピソードがたくさん出てきます。本書以外でそういう内容が書かれた記事・文献等はほぼ皆無であり、藤田ファンにとって大変貴重な一冊です。
※敬称は略させて頂きました。
2021.10 Shinichi-Yo.
時代を超え、国境を越え、人々を魅了するサウンド。
1980年代という煌びやかな時代の雰囲気を、まるで体験したような気分にさせてくれる…当時まだ子どもだった私にとって、オメガサウンドはそんな存在でした。
憧れであり、希望でもあったそのサウンドを創りあげたのが藤田浩一プロデューサーであり、その仕事に対する情熱――細部までこだわり抜き、自らの思い描く世界を実現するためには周囲との衝突も辞さなかったというその妥協なき姿勢を知り、感嘆させられました。
彼はまたオメガ以外でも、当時の音楽シーンにおいては画期的ともいえる試みを多く行なっていました。
その代表が、何といっても菊池桃子、ラ・ムーであったかと思います。
当時は数いる超人気アイドルの一人としての評価のみで、ラ・ムーに関してはあまりに斬新すぎて、正当な評価を得られないまま解散。
しかし、ラ・ムーを聴いた小室哲哉が、こんな方向性(アイドル的女性ボーカルのブラコン路線)もアリなのかと驚き、それがやがて小室プロデュースのヒット曲に繋がっていった…というエピソードもあり、少なからず後の音楽シーンに影響を与えました。
さらに後年、アイドル時代の楽曲がシティポップの名曲として取り上げられたり、インドネシアの歌手Rainychによってカバーされたり、ラ・ムーに至っては韓国のプロデューサー・DJのNight Tempoをして「ラ・ムー2.0をやりたい」と熱望されるほどの高い評価を受けています。
時代を超え、国境を越え、人々を魅了する音楽を創り出した藤田プロデューサー。
豊かなセンスとアイデア、ものすごい熱量と行動力、それに当時の好景気も手伝って創りあげられたその上質な音楽は、時代と共に流れて消え去るようなものではありませんでした。
歳を重ねても何度も聴き直したくなるような一生モノの音楽を残してくださったことに、令和の今、改めて感謝したいと思います。
※敬称は略させて頂きました。
2023.01 chiffon
SUMMER SUSPICION(杉山清貴&オメガトライブ デビュー曲)
この曲が「オメガトライブ」というイメージを最後まで導いた様な気がします。
オメガサウンド(大きく言うとトライアングルサウンド)の本当の始まりは、一体どこからなんでしょうか?
「杉山清貴さんの歌声からのイメージ」
「藤田浩一さんの描いた構想」
卵が先か、鶏が先か…(全く例えになっていませんが)
おそらく、ほとんどの方がテレビ音楽の一部としてオメガトライブを知ったのではないでしょうか?
テレビ音楽から入った自分と同じ方々は、藤田浩一さんの存在は、なかなか印象が薄いと思います。
情報が少ないですし、既に他界されている方なので当然だと思います。
改めてテレビ音楽世代の方々へ
皆さんなりの藤田浩一さんを自由に思い浮かべてトライアングルサウンドを聴き直してみてはいかがでしょうか?
こんなに浸透したシティポップからトライアングルサウンドが独立して行ける様な願いを込めて。
2023年4月5日 U-KEN.